祖父の死を経験し、祖父の偉大さとこれからの人生を考えてみた

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人生観

先日、祖父が他界しました。久々の身内の死を
経験し、色々な事を考えました

高齢だった事もあり、覚悟していた部分もありますが
いざ亡くなると、寂しさが込み上げてきます

 

祖父の死を目の前にして、改めて生かされている事に
有難さが込み上げてきました。

 

 

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昔の人の生き方の気高さ

祖父は92歳で他界しましたが、祖父の若い頃は
会社に勤務しつつ兼業で農業も行い、本当に必死に
なって働いていていたと聞きました。

娯楽も中々無い時代に、一生懸命家族の為に働いて
色々な物をコツコツと積み上げてきた祖父の生き様
聞いて改めて祖父の偉大さを実感しました。

 

その偉大なDNAが自分にも流れていると思うと、
自信というか、誇りを持てました。

こういった素晴らしい人間性を持った祖父の想いを
しっかり引き継いで生きて行こうと決意しました。

 

 

人が亡くなるという事

人が亡くなるという事は、実際に亡くなった時も
そうですが、その人の存在を知っていた人が
いなくなった時に本当に亡くなるのかなと思います。

亡くなった方の話をしたりする限り、その方はまだ
存在していると思います。ですので歴史上の人物は
いまだにそれぞれの中に生き続けていると思います。

 

 

命のバトン

ご先祖様の誰が欠けても、今の自分は存在しない
言われますが、本当にそうだなと感じました。

祖父が亡くなる時も、その事を物凄く感じましたし
バトンを託さた以上、次に繋ぐという事と、繋いだ
子ども達の教育や、躾をきちんとして更に子孫繁栄
をしてきたいなと思います。

 

いくら子どもがいても、育て方を間違うと子孫繁栄
どころかその家が途絶えてしまう事もありますので
子どもの育て方を祖父やご先祖様の為にも、より
しっかりしないといけないなと思いました。

 

 

死から生を考える

日々の忙しさに忙殺されていると、生というのが
当たり前になってしまいますが、当たり前では無い
と痛感しました。

身近な人の死に触れると、生かされている事を
大事にしなくてはいけないなと思いますし、
毎日を一生懸命、有難く生きないとなと思います。

 

ありふれた言葉ですが、今日という日は昨日亡く
なった人が生きたかった明日という事を頭に入れて
毎日を過ごしていきたいです。

寒いなとかキツイとか怠いなとか日々思う事もあり
ますが、生きている事に感謝を感じると今までそう
思いながら生きていた事にも、生きている証拠と
思い、頑張ろうと思えます。

 

順番通りにいくと、祖父や祖母の死を最初に経験
する事になりますが、そこを経験する毎に自分の
人生を見直す良いきっかけになります。

 

 

まとめ

昔は昔で良かった事もあると思いますが、不便な面も
多かった時代に一生懸命生きてきた祖父の偉大さ
実感した通夜、葬儀となりました。

礼拝する度に心の中でありがとうという言葉しか
思い浮かびませんでした。

祖父がしっかりと生きてきてくれたから僕達の
人生があると思うと、有難過ぎて感謝しかありません。

身近な人の死を経験するにつれ、死に対しての考え方
や、生の有難さ、儚さといった事を考えます。

私は自分の人生で何を遺していけるのかなと考えた
時に、不変の事は子どもへの教育や躾、考え方だなと
いう答えに行きつきました。

そこをしっかりしておく事が祖父やご先祖様への
報いになるかなと思います。

 

今一度、私の人生設計を真剣に考える良い機会
なりました。

これからもしっかりと、そして有難く
家族で人生を楽しみます♪

 

 

 

家遊楽賢 ~家族で遊ぶ、楽しく賢く♪~

 

 

 

 

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